現在の姫路城が造られた江戸時代の姫路城城主の一覧です。約270年の間に6氏31代の城主が誕生しました。中には幼少を理由に、短い在任期間で移封された方もいます。
このデータは、姫路市史と姫路城管理事務所内に展示してある歴史年表を参考にしています。
西暦 | 年号 | 城主 | 出来事 |
---|---|---|---|
1600 | 慶長5 | 池田輝政 | 関ヶ原の戦い |
1601 | 慶長6 | 姫路城の大修理を開始 | |
1609 | 慶長14 | 天守竣工 | |
1613 | 慶長18 | 池田利隆 | |
1615 | 慶長20 | 大阪夏の陣 | |
1616 | 元和2 | 池田光政 | |
1617 | 元和3 | 本多忠政 | |
1618 | 元和4 | 鷺山に西の丸を造成 | |
1631 | 寛永8 | 本多政朝 | |
1638 | 寛永15 | 本多政勝 | |
1639 | 寛永16 | 松平忠明(奥平) | |
1644 | 正保1 | 松平忠弘(奥平) | |
1648 | 慶安1 | 松平直基 | |
1648 | 慶安1 | 松平直矩 | |
1649 | 慶安2 | 榊原忠次 | |
1665 | 寛文5 | 榊原政房 | |
1667 | 寛文7 | 松平直矩 | |
1682 | 天和2 | 本多忠国 | |
1704 | 宝永1 | 本多忠孝 | |
1704 | 宝永1 | 榊原政邦 | |
1707 | 宝永4 | 城下大雨の被害 | |
1726 | 享保11 | 榊原政祐 | |
1732 | 享保11 | 榊原政岑 | |
1741 | 寛保1 | 榊原政永 | |
1741 | 寛保1 | 松平明矩 | |
1748 | 寛延1 | 松平朝矩 | |
1749 | 寛延2 | 酒井忠恭 | 城下大洪水の被害 |
1772 | 安永1 | 酒井忠以 | |
1790 | 寛政2 | 酒井忠道 | |
1814 | 文化11 | 酒井忠実 | |
1835 | 天保6 | 酒井忠学 | |
1844 | 弘化1 | 酒井忠宝 | |
1853 | 嘉永6 | 酒井忠顕 | |
1860 | 万延1 | 酒井忠績 | |
1867 | 慶応3 | 酒井忠惇 | |
1868 | 明治1 | 酒井忠邦 | 戊辰戦争が始まる 備前藩兵による姫路城攻撃 |
1869 | 明治2 | 版籍奉還 |
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池田輝政の五輪塔や、榊原忠次と政邦の墓所が姫路城の北方に位置する増位山にあります。
池田輝政
山頂の駐車場から随願寺に向かう参道から少し林に分け入った所に五輪塔がひっそりと置かれています。
榊原忠次
増位山頂に建つ随願寺と並んで榊原忠次の墓所があります。設置された案内板に、忠次公は文武両道にすぐれた人格者で、姫路城主としても数々の治績をあげて名君と称されたと書かれています。
また、墓所内の大きな碑に刻まれた3000文字に及ぶ忠次公の一代記を、一字一句間違わずに読むと碑石の「カメ」が動くという伝説があるそうです。
榊原政邦と夫人
上記の忠次の墓所から少し離れた梅林の近くに政邦夫妻の碑が2基並んで立てられた墓所があります。
案内板によると、政邦は52歳で亡くなるまで城主として22年間にわたり、特に民政に心を傾け善政を続けたといわれており、増位山に葬られたのは遺言によるものだそうです。
夫人は後に江戸で亡くなったが、同じく遺言によりこの地に並んで葬られたとも記されています。
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